ニュートリノって何?(その1〜ニュートリノ説誕生)

昨年末に、ニュートリノが光よりも速く移動したかも、という発表があったのは知っている人も多いかと思います。この話は実験ミスらしい、という事でほぼ決着しているのですが、ニュートリノってそもそも何?という話はあまり無かったように思うので、何度かに分けてその辺の解説をしてみます。物理をちょっとかじった事がある、くらいの人向けを狙ってみます(外れてるかも知れません)。


本題に入る前に、超光速ニュートリノの結果が否定された話にリンクしておきます。日本語で見つかったソースは、Wiredの「ニュートリノの光速超えにさらなる反証|WIRED.jp」と、科学コミュニケーター林田さんのブログ「misatopology.com」です。


実験ミスの原因は、ケーブルがしっかり繋がってなかった、なんですが、どういうこっちゃ、と思った人は「OPERA: What Went Wrong | Of Particular Significance」の3つ目の写真をどうぞ。英語が読める方なら、どういうミスがあったのか詳しく解説されているのでその意味でもこのブログ記事はオススメです。


というわけで、シリーズ1回目。ニュートリノの存在がどのようにして予測されたのか。

β崩壊

福島第一原発の事故でおなじみになってしまった放射線の種類の1つに、β線があります。β線は、原子核から放出された電子。β線の出てくる核崩壊が、β崩壊です。


ニュートリノが絡んでくるからこの話をするのですが、まず、まだニュートリノが発見されていない1930年にいると想像してみてください。β崩壊について当時分かっていた事を2つ挙げると、

  • β線は電子。*1
  • 原子核の質量は一番軽い水素の原子核でも電子の質量の約2000倍。

他にも分かっていた事は色々ありますが、まずこれだけとして考えます*2


なんと、上の2つだけから、ある核種から出てくるβ線のスペクトル(エネルギー分布)が予想できます。これを説明しますね。例として下に、炭素14のβ崩壊を描いてみました。



元々の炭素14の核は静止状態にあります。ある時突然崩壊が起こって、電子が速度veで放出されて*3、原子核は窒素14に変わります*4。飛び出した電子と真反対の方向に原子核が動き始めないといけないのは、直感的にも分かると思います。原子核の方が電子よりもずっと重いので、原子核の方がゆっくり動いてる(vNの方がveより小さい)、というのも多分。大砲を発射すると反動は大きいけれど、ピストルだとそこまででもない、という例えでどうでしょう*5


なぜこうなるかというと、運動量が保存されているから(分かっている人には少々くどい説明をします)*6。崩壊する前は、静止状態の原子核があるだけなので全体の運動量は0です。運動量が保存されるという事は、崩壊の後も、運動量の合計は0にならないといけないという事。窒素の運動量pNと、電子の運動量peという2つのベクトルを足して0にしないといけないわけです。



ベクトル2つを足して0にするには、上の図の真ん中の例のように、2つのベクトルの大きさが等しく、正反対を向いていないといけません。つまり窒素の原子核と電子の運動量は、大きさは一緒、向きは正反対。そして原子核の方が質量が大きいので、より小さい速度で同じ運動量に達します。だから原子核の方が、電子よりも遅く動いている、という事です。


さて、電子と原子核の運動量の大きさはどうやって分かるんでしょうか?これにはエネルギー保存則を考えます。質量はエネルギーの一種(E=mc2)なのを思い出して、崩壊前後のエネルギーを書き出すとこうなります。



崩壊前のエネルギーは、炭素14の質量エネルギー(mic2)のみ。崩壊後のエネルギーは、窒素14の質量エネルギー(mfc2)と電子の質量エネルギー(mec2)、そしてそれぞれの運動エネルギー(KfとKe)。エネルギーの保存則から、前のエネルギーと後のエネルギーは同じでなくてはならず、それを表したのが下から2番目の式。これを変形すると、原子核と電子の運動エネルギーの合計(Kf+Ke)が、質量欠損、つまり崩壊前後の原子核の質量の差(mi-mf)と、電子の質量によって表されました。


この右辺は、質量を測りさえすれば分かる一定の数字なので*7、炭素14のβ崩壊なら毎回一緒です。という事は、出てくる運動エネルギーも毎回一緒で、それによって運動量の大きさも毎回一定に決まるという事になります*8

スペクトルの矛盾

というわけで、炭素14から出てくるβ線のスペクトルの予想は、こうなります。



毎回一定のエネルギーで出てくるという予想。測定誤差や、元の炭素14がじっとしているわけではない事を考慮に入れても、鋭いピークが現れるはずです。ところが、実際に計測されたスペクトルは下のような曲線でした。



予想に反して、滑らかな分布だったんですね。スペクトルを予想するのに必要だった前提は、

  1. β崩壊で出てくるのは、原子核と電子だけ
  2. エネルギーは保存される
  3. 運動量は保存される

の3つ。予想が間違っていたという事は、このうち最低でもどれか1つは間違っている事になります。この問題に気付いたニールス・ボーアは、エネルギー保存則は統計的にしか成立しないのではないか、という可能性まで考慮していました*9


そこで、今まで検出されていない新しい粒子があるのではないか、と提唱したのがヴォルフガング・パウリでした*10。エネルギーが保存されていないように見えるのは、その新しい粒子がエネルギーを持っていなくなってしまっているからだと言うのです。出てくる粒子が3つあれば、エネルギーと運動量を保存しても、電子のエネルギーは1つには定まりません。↓に、3つの運動量を足して0にする例を描いてみました。電子の運動量peが色々な値を取れるのが分かります。



パウリがこのアイディアを公表したのは、核物理の学会が行われていたチュービンゲンへの公開書簡です。1930年12月4日付。その書き出しは、"Liebe Radioactiven Damen und Herren"(「親愛なる放射性紳士淑女の皆様へ」)というものでした。全文は「Pauli letter collection - CERN Document Server」(下のFulltext:PDFをクリック。)で読めます。

ニュートリノ命名

この時、パウリが新しい粒子に付けた名前は"Neutron"でした。中性(neutral)の粒子という意味ですが、1932年に中性子が発見された際、neutronの名前は取られてしまいました。


そこで新しい名前を考えたのが、エンリコ・フェルミ*11。イタリア語では、中性子の名前はneutroneになります。たまたまなのですが、イタリア語で"-one"の語尾は、大きいものを表すのに使われるもの。反対に、小さいものを表す語尾は"-ino"です。フェルミは、発見されていない粒子は中性子よりも軽いはず、という事で、これを小さい中性の粒子(neutrino)と名付けました。


以上、ニュートリノ説の誕生でした。

続く

*1:これを発見したのはアンリ・ベクレル。H. Becquerel, Comptes Rendus de l'Academie des Sciences 130, 809 (1900). (フランス語)

*2:ホイッグ史観的なやり方なのは承知の上で、物理を分かりやすく説明する事を優先します。とか言って分かりにくかったらかっこわるい…

*3:本文中、ベクトルには矢印を付けていませんが、混乱する箇所はないと思います。面倒なだけなので、分かりにくかったらすいません。

*4:炭素の元素番号は6、窒素の元素番号は7なので、原子核の電荷は+e増えてます。電子の電荷は-eなので、合わせると前後で増えたり減ったりはしていません(電荷の保存)。

*5:力学の話は暴力的になっていけませんね…

*6:運動量は、p=mv/√(1-v2/c2)。速度が光速よりずっと小さい場合には、p=mvで近似できます。β崩壊の場合、この近似は原子核については当てはまりますが、電子については当てはまらない場合が多くなります。

*7:真空での光速cももちろん定数

*8:運動エネルギーと運動量の大きさが一対一で対応しているということが示せれば十分。運動量pで動いている質量mの物体のエネルギー(質量エネルギー+運動エネルギー)は、E=√(m2c4+p2c2)。

*9:W. Pauli, in Neutrino Physics: Second Edition, edited by K. Winter (Cambridge University Press, Cambridge, 2000), p. 5-6.(5/1 15:16追加)なぜボーアがそう考えたかというと、β崩壊するビスマス210の崩壊熱を測ったところ、崩壊1回ごとに出てくるエネルギーは、滑らかなβスペクトルのピーク付近のエネルギーだと分かったからでした(C. D. Ellis and W. A. Wooster, Proceedings of the Royal Society A 117, 109 (1927) )。β崩壊では、毎回出てくるエネルギーは違うけれど、平均はエネルギーを保存するように定まっているのでは、と考えたわけです。ビスマス210はラジウム系列の同位体で、当時はラジウムEと呼ばれていました。

*10:実は、この説には角運動量の保存を救う意図もありました。炭素14のスピン角運動量は0、電子のスピンは1/2、窒素14のスピンは1です。崩壊後の2つの粒子のスピン1/2と1をどう組み合わせても、元のスピン0にすることは出来ません。スピン1/2の粒子がもう1つ出て来きているとすれば、この問題も解決されます。(これはちょっと進んだ話なので本文から割愛。次の記事で解説するかも知れません。)

*11:E. Fermi, Collected Papers: (Note e Memorie), (University of Chicago, Chicago, 1962), Vol. 1, p. 538-540.