ヒッグスが大事な理由〜ニュートリノがなぜ検出しにくいのか?

ニュートリノがなぜ検出しにくいのか?という疑問に、ヒッグス粒子は深く関わっています。だらだらと書いているニュートリノのシリーズ物で、この話はしておきたいけれど上手く話に組み込めないな、と思っていたものなのですが、ヒッグス粒子と思われるものが発見されたことで自然に出来るようになりました。


ヒッグス自体の解説は、ここではほとんどしません。↓この辺で使えるものがあるでしょうか…
野尻美保子先生による、ヒッグス粒子の解説(分かりやすい、たぶん)改訂版 - Togetter(多分結構難しい、笑)
量子力学から始めようーー<ヒッグスの真空期待値>ってなによ - Togetter
真空のさざ波とHiggs粒子から、ぬいぐるみ(案)の改良まで - Togetter
野尻先生による、HIggs 講義(結構難解、含む関連話題) - Togetter
野尻先生による、HIggs 講義(結構難解、含む関連話題) Part.2 - Togetter
野尻先生による、HIggs 講義(結構難解、含む関連話題) Part.3 - Togetter
Hal Tasaki's logW 1207


このブログでは、統計の話「ヒッグスは99.98%の確率で見つかったのか? - 物理学と切手収集」と、ヒッグスに関する誤解の話「ヒッグス粒子には出来ないこと - 物理学と切手収集」を前回の発表の際に書きました。

相互作用の分類

素粒子物理の現行理論、標準模型では、素粒子の世界では3つの相互作用(「力」とも)があるとされています*1:電磁相互作用、強い相互作用、弱い相互作用*2


正の電荷を持った原子核と、負の電荷を持った電子を引きよせて、原子を作っているのは電磁相互作用です。化学反応も、このように原子核や電子の間に起こる力が原因ですし、身近に起こる現象のほとんどは究極的には電磁相互作用で説明がつきます。強い相互作用*3は、クォークを元に陽子や中性子を作り、さらにその陽子と中性子をまとめて原子核を作っています。


β崩壊や電子捕獲など、ニュートリノの関わる反応は残る1つ、弱い相互作用が起こしているものです。ニュートリノが検出しにくい直接の理由は、ニュートリノが電磁気力と強い力の影響を受けず、弱い相互作用でしか反応しないから、と言えます。弱い相互作用は、その名の通り影響が検出しづらいからその名前がついたのですが、これだけの話だと、なぜ弱い相互作用は弱いのか、という根本的な疑問が残ります。これが、ヒッグスに大いに関わる問題なんです。

相互作用は粒子の交換

今の素粒子の理論のほとんどは、「場の量子論」という枠組みの中で作られています。これは、(特殊)相対性理論と量子力学を組み合わせたもの。場の量子論では、2つの粒子の間に働く力は、もう1つの粒子を交換することで起こっていると理解されます。例えば、陽子と電子が引きよせあう電磁相互作用は、光子の交換で起こっています。ファインマン図と呼ばれる絵で表すと、下のようになります(時間は下から上に流れています)。



陽子と電子の片方が光子を1つ出して、もう片方が吸収する、という反応で、おたがいの運動を変えることが出来ます*4。光子は光を粒子として見たもので、質量を持っていません*5。このように質量を持たない粒子を交換する場合、遠くに離れた場合でも力はあまり弱くなりません*6


一方、交換される粒子が質量を持っている場合、力にはこの質量に反比例した射程距離が生まれてしまいます*7。湯川秀樹がノーベル賞を受賞した業績は、陽子や中性子を引きよせている力*8が、1フェルミ=1000兆分の1メートルほどの距離までしか働かない事を、質量を持った粒子の交換で生まれている力だからではないか、と説明したことでした。陽子と中性子の間で交換される粒子(の1つ)はπ中間子といって、陽子や中性子の10分の1くらいの質量を持っています。



β崩壊は「力」ではないですが、これも粒子の交換によって起こっています。ニュートリノの話の2回目で、こんな図を書きました。



↑では、反応の起こる場所は1つの点として描いてありますが、実はこれはズームが足りないんですね。もっと小さいスケールまでズームしてみると、Wボソンという粒子がβ崩壊を媒介しているのが分かります。



Wボソンの質量は、陽子や中性子のおよそ100倍。π中間子からするとおよそ1000倍です。π中間子の交換でまとめられている原子核の、さらに1000分の1の射程距離しかない作用だという事です。弱い相互作用が弱いのは、媒介している粒子がとても重いから、というわけ。そして、弱い相互作用を伝える粒子を重くしているのが、ヒッグス機構という仕組みなんですね。

電弱理論とゲージ対称性の破れ

ゲージ対称性とはなにか、という話をしっかりすると長くなってしまうので、短く言うと、ある決まり事にしたがって1つの場を他の場に書きかえても、理論が表している現象は変わらない、という(理論の持つ)性質の事です。


…と言っても、なんのこっちゃ?、でしょう。ゲージ理論(ゲージ対称性を持った理論)のご利益を話した方が早そうです。ゲージ対称性を指定すると、自動的に相互作用を伝える粒子(ゲージボソン)が現れてきます。そして、この粒子が他の粒子とどう反応するのかにも、きつい制約が付いてきます。素粒子物理学者というのは、シンプルなルールで自然が表せるんじゃないか、とまず考えて見る人種なので、対称性を指定するだけで素粒子の間で起こる現象が全部表せちゃったりしないか、と考えるのは自然なアイディアだったわけです。


弱い相互作用に関しては、レプトン数の保存*9が、背景に対称性があるのではというヒントになっていました。電子*10とニュートリノは、レプトンという1つの仲間なのではないか、ということです。そういう事だとしてゲージ理論を作ってみるだけなら、実は簡単に出来るのですが、ここで問題があります。ゲージ対称性が成立している場合、ゲージボソンには質量がないんです。つまり、弱い相互作用をゲージ理論で説明するには、元々あったゲージ対称性を破って、ゲージボソンに質量が現れる仕組みがないといけません。


弱い相互作用を説明するゲージ理論は、電磁相互作用と弱い相互作用を合わせた「電弱理論」というものです*11。この理論の元々のゲージ対称性には、4つの(質量のない)ゲージボソンが対応しています。とても大雑把な言い方なのですが*12、4つあるゲージ対称性のうち3つを破って、対称性が1つだけ残るようにすれば、質量のない光子と、質量を持つ3つのボソンがある理論になるわけです。弱い相互作用を伝えるのは、質量を持つ事になる3つのボソンになります。電荷を持つW+ボソンとW-ボソン、そして電荷を持たないZボソン*13


本物の電弱理論の対称性を視覚化するのは少し難しいですが、もう少しシンプルな例はあります*14。真ん丸なボールがあった場合、これをどのように回転させても、回転前と後の区別は出来ません*15。ですが、1つマーカーで点を付けると、この点の位置を動かさないような回転以外は区別が出来てしまいます。ある操作をしても区別できない、というのが「対称」の意味ですから、点を付けるのは元々ボールが持っていた対称性を破る事になるわけです。マーカーで付けられた点に回転軸を通した回転が、まだ破られていない対称性で、たまたまこれに対応するゲージボソンが、質量を持たないままの光子になります。


電弱理論のゲージ対称性が破れる前には、電子とニュートリノは区別できません。合わせて、レプトンという1つの名前で呼ぶべきものです。ゲージ対称性が破れるとレプトンは、たまたま光子になったゲージボソンと反応できる要素と、たまたまそれと反応できない要素に分かれてしまいます。反応できる部分が、電荷を持ったレプトン、つまり電子です。反応できない要素は電荷をもらえず、弱い相互作用でしか反応出来なくなり、検出しづらくなった。これがニュートリノ。


今回、新粒子を発見したLHCの入っているトンネルには、以前LEPという加速器が入っていました*16。LEPでは、電磁相互作用と弱い相互作用が元はといえば同じものだったのが、対称性が破れて違うものになった、というアイディアがどうやら正しいという事が示されました。残されていた謎は、ゲージ対称性がどうやって破られたのか。今回発見されたのがヒッグス粒子だとすると、この対称性を破った仕組み、電磁相互作用と弱い相互作用が別のものになった仕組みが解明された事になります。

*1:物理用語の力は、ものを加速(または減速)させる働きの事。

*2:重力は、標準模型の枠組みには含まれません。重力の理論である一般相対性理論と、量子力学を組み合わせた理論(いわゆる量子重力理論)はまだ自然を記述できる段階まで来ていないため。

*3:強い力、強い核力とも

*4:なんで斥力じゃなくて引力になるのか、という話は大変なので割愛…

*5:特殊相対性理論では、質量を持たないものしか光の速さでは動けません。

*6:力の働く2つの粒子の間の距離をrとすると、力の強さは1/r2に比例します。クーロン力と重力はこの「逆二乗の法則」にしたがう力で、これは未発見の重力子(グラビトン)も質量を持っていないと考えられる理由です。

*7:力が指数的に弱くなってしまう。量子力学では粒子は波で、ある距離を超えると交換される波の位相が合わず、打ち消しあう干渉しか起こらなくなってしまう、というのが理由(高度かも知れませんが)。

*8:強い相互作用の働きの1つ

*9:ここでした話

*10:とミューオンとタウオン。このフレーバーの区別は話の本筋ではないので無視しています。

*11:ワインバーグとサラムが提唱。

*12:対称群の生成元の数の話。

*13:W+とW-はお互いの反粒子なので、合わせて1種類と数える場合もあり。

*14:この例は、電弱理論のSU(2)×U(1)ではなく、SU(2)を破る場合に(ほぼ)対応。

*15:回転前の北極を、特定の緯度、経度の位置に持って行って、さらにその北極を通る回転軸に対して自転させる事が可能なので、回転を表すのに必要なパラメータは3つ。

*16:LHCが陽子と陽子を衝突させるものなのに対して、LEPは電子と陽電子を衝突させるものでした。