ニュートリノって何?(その2〜ニュートリノ発見)

前回は、β線のスペクトルが連続的な事から、なぜニュートリノがあると考えられたのか、でした。今回は、ニュートリノを発見しちゃいます*1

奇跡の年

パウリがニュートリノ説を発表したのが1930年。その2年後、1932年はannus mirabilis(ラテン語で「奇跡の年」*2)と呼ばれるほど、実験物理の大発見が続いた年でした。その中でも今回の話に関係してくるのが、チャドウィックによる中性子の発見と、アンダーソンによる陽電子の発見です。


陽子とほぼ同じ質量を持った中性子が発見されるまでは、原子核の質量のもとは大きな謎でした。同位体、つまり元素番号(電荷)は同じなのに、質量が違う原子核がなぜあるのかが分からなかったのです。中性子が発見された事で、同位体というのは、陽子の数は同じだけれど、中性子の数が違う核だというのが判明しました。これでβ崩壊も、原子核の中の中性子1つが、電子を放出して陽子に変わるプロセスだという理解が可能になります。


つまり中性子は、既に観測されていた色々な現象を説明出来る粒子だったのですが、陽電子は純粋に理論から予測された粒子でした。量子力学で粒子の運動を表すのにはシュレディンガー方程式が使われますが、特殊相対性理論の影響を組み込むとどうなるのか、と考えた結果がディラック方程式です。発見者のポール・ディラックがこの方程式で電子の運動を表そうとしてみたところ、望みどおりの電子の他に、エネルギーがマイナスになってしまう解が見つかってしまったのです。これの解釈には紆余曲折があったのですが、最終的には、質量は電子と同じでプラスだけれど、電子が-eの電荷を持っているのに対して+eの電荷を持った粒子があるのだろう、という予測が立てられました*3


宇宙線(宇宙から来る放射線)の観測でこういった粒子が実際に見つかり、陽電子と名付けられました。初めて発見された反粒子です*4

フェルミのβ崩壊理論

このディラックの理論*5は、場の量子論という種類の理論の先駆けで、電子が光子(光の粒子)を放出したり吸収したりする事で力を伝達する現象や、電子と陽電子がぶつかって光を発して消滅する対消滅など、粒子の数が増減するのを表すのに適していました。そこでニュートリノの名付け親フェルミは、β崩壊も突如として粒子が現れる現象だという事で、同じ枠組みでβ崩壊を扱う事を思い付いたのです*6。ニュートリノ説が受け入れられるようになったのは、1934年に発表されたフェルミ理論の予測が次々と当たったためでした。



上に描いたのは、現象の発生確率を計算するために使われる図で、ファインマン図と呼ばれるものです*7。時間は下から上に進むように描かれているので、中性子(n)がある特定の場所で陽子(p)、電子(e)、反ニュートリノ(ν、上線は反粒子の意味)に変わるという現象を表しています。つまり、これがフェルミ理論でのβ崩壊。(1つ注意点は、反ニュートリノの線だけ、時間を遡ってることです。ファインマン図では、時間と逆方向に向いている矢印は、反粒子の意味を持っています。)


なんだそれだけか、と思われるかも知れませんが…それだけです(笑)フェルミ理論の内容は、見つかってない粒子はニュートリノ1つだけという事、そして崩壊は2段階、3段階と起こるのではなく、1回のステップで起こる事、と言っていいでしょう。


ただし、この理論が場の量子論として組み立てられていた事から、新しい現象がいくつも予測出来ます*8。ファインマン図を使う理由の1つは、図を変形するだけで新しい現象が出てくるからなんですね。例えば…



反ニュートリノの線を下から入ってくるように変えると、矢印は時間と同じ方向になるので、ニュートリノの線になります。新しい図は、ニュートリノが中性子に当たって、陽子と電子になるプロセスです。

電子捕獲

上の図の反応が起こるという事は、単に時間を巻き戻したものも可能です。



これが電子捕獲。原子核の周りを回ってる電子を、陽子が食べちゃうんですね。その陽子が中性子に変わると同時に、ニュートリノが出てきます。この現象は1937年に実際に観測されました*9


前回を思い出してもらえると、この現象には大事なヒントが隠れていることが分かります。フェルミ理論によると、β崩壊では3つの粒子が出てきます。前回説明したように、3つ以上の物が出てくる反応ではそれぞれのエネルギーが色んな値をとれるので、実は見えない粒子が何個も出てきている可能性が除外できません。1回のβ崩壊で見えない粒子が1つしか出てきてない、という証拠は薄いんですね*10


一方、電子捕獲で出てくると予想される粒子は2つ(原子核とニュートリノ)です。つまり、原子核が電子を捕獲した後に持っているエネルギーは、毎回ほぼ一緒になるはず。



↑はロードバックとアレンの実験の図*11。小さい容器の中で電子捕獲した後の原子核が、検出器まで移動する時間を測った結果です。斜線のピークの左側の色々は、原子核よりも早く届いてしまった別のもの*12だと説明されています。逆に山の右側、つまり原子核が予想より遅く届くことがほとんど無かったのは、ニュートリノが1個しか出ていないらしい事を示しています。

ニュートリノ発見

電子捕獲と、それによる原子核の反動の観測はニュートリノ説、そしてフェルミ理論の重要な証拠になりましたが、やはり一番の証拠は、β崩壊で出てきているとされる反ニュートリノそのものを検出することです*13。そこでファインマン図をまた変形します。



ニュートリノの線を引き下ろして、電子の線を上にあげました。そうすると矢印が時間と逆向きになるので、それぞれ反ニュートリノと陽電子の線になります*14


これは反ニュートリノを陽子にぶつけると、中性子と陽電子が出てくる、という反応で、「逆ベータ崩壊」と呼ばれます*15


逆ベータ崩壊を見つけるには、大量に反ニュートリノが出ている環境、つまりβ崩壊が起こっている環境が必要。地球上では原子炉の近く、という事になります。放射能が漏れているという事ではなくて、原子炉の中で起こるβ崩壊から反ニュートリノが出ていて、これはそのまま外に出てきているという事です。ニュートリノは、するりと出てきてしまうようなものだから発見できてなかった、という事ですね。1956年、フレッド・ライネスとクライド・カワンが反ニュートリノを発見したのは、アメリカ、サウスカロライナ州サバンナ・リバーの原子炉を使った実験でした*16



↑が、ライネスとカワンの実験装置*17。論文には、"club-sandwich arrangement"(3段重ねのサンドイッチ状)、と書いてあります(笑)サンドイッチの具に当たる部分(A、B)が反ニュートリノを当てるターゲット、パンに当たる部分(I、II、III)が検知器です。


ターゲットは、水。水には水素があるので、陽子のターゲットとして使えるという事です*18。さて、陽子に反ニュートリノが当たって逆ベータ崩壊が起こると、陽電子と中性子が出てきます。これをどうやって検知すればいいのでしょうか。陽電子の方は簡単です。周りに沢山ある電子のどれかに当たると対消滅して、γ線(光子)を出してくれます。


中性子を検知するのには少し工夫がいります。中性子が1932年まで見つからなかったのも、ニュートリノが見つかってなかったのも、電気的に「中性」なのがネックなんです。中性というのは、直接光と反応してくれないという事で、1段階で検知することが出来ないんですね。ライネスとカワンは、水にカドミウムを混ぜる事でこれを解決しました。カドミウムは原子炉の制御棒にも使われる元素で、中性子をよく吸収します。そして、中性子を吸収した直後にγ線を出すので、これが検出できるというわけです。



(陽電子(赤)は、電子とぶつかってγ線(青)を出してくれる。カドミウムを混ぜると、中性子(オレンジ)もγ線を出してくれる。)


ライネスとカワンは、陽電子の対消滅で出てくるエネルギーのγ線の直後に、カドミウムの中性子吸収で出てくるエネルギーのγ線、というパターンを見つけました。さらに、原子炉を止めるとこの信号が減る事*19などを丁寧に確認して、反ニュートリノの発見を発表しました。


次回、ニュートリノはどこにあるのか、に続きます。(予定変更しました)

*1:前回もですが、脚注はプロ向けのものあり。ニュートリノの歴史でもう少し詳しく調べたい場合、Klaus Winterの"Neutrino Physics"がスタート地点として良さそうです。(5/6 1:50追加)

*2:物理でこのフレーズが出てくる場合、アインシュタインの1905年の事を指す事の方が多いです。ノーベル賞受賞の理由とされた光電効果の他に、特殊相対性理論とブラウン運動の論文もこの年に書かれました。

*3:P. A. M. Dirac, Proceedings of the Royal Society A 133, 60 (1931).

*4:5/5 23:43追加

*5:この時点では未完成ですが、量子電磁力学。

*6:E. Fermi, Nuovo Cimento 11, 1 (1934). Zeitschrift fur Physik A 88, 161 (1934).

*7:フェルミ理論の発表された時にはファインマンはまだ高校生なので時代錯誤ですが、使った方が明らかに分かりやすいので使います。

*8:前回出したスペクトルの形も予測されました。これは番外編として書くと思います。

*9:観測はルイ・アルヴァレ(L. Alvarez, Physical Review 52, 134 (1937).)、定量的に予測したのは、湯川秀樹と坂田昌一でした(H. Yukawa and S. Sakata, Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan 17, 467 (1935).)。

*10:電子のスペクトルから推測出来ますが、実験の精度が低いと難しいです。

*11:G. W. Rodeback and J. S. Allen, Physical Review 86, 446 (1952).

*12:崩壊直後に出てきた電子など

*13:2つ目のファインマン図は、ニュートリノが検出できる現象でしたが、反ニュートリノではなく、ニュートリノの発生源が見つからないと出来ません。これは次の次辺りで話します。

*14:5/5 23:34追加

*15:この呼称は、β崩壊がA→Bなら、逆ベータ崩壊はB→A、というわけではないので誤解の元かと思いますが。

*16:C. L. Cowan et al., Science 124, 103 (1956).核兵器開発のための原子炉でした。

*17:絵は "The Reines-Cowan Experiments: Detecting the Poltergeist"(PDF)より。

*18:軽水素の原子核は陽子1つのみ

*19:無くなりはしません。原子炉を止めてもβ崩壊は起こり続けているというのが崩壊熱の問題ですね。