ニュートリノって何?(その4〜パリティの破れ)

ここまでの話↓
ニュートリノって何?(その1〜ニュートリノ説誕生) - 物理学と切手収集
ニュートリノって何?(その2〜ニュートリノ発見) - 物理学と切手収集
ニュートリノって何?(その3〜ニュートリノの発生源) - 物理学と切手収集


今回は、ニュートリノのスピンという性質の話と、パリティ対称性の話をします。繋がった話です。

スピン

素粒子のイメージ図を描く時、普通は点や球のように描かれますが、実はほとんどの素粒子は、放っておいても角運動量を持っています。この角運動量を、スピンといいます。直感的には、粒子が「自転している」というイメージで良いです。ただ、特定の粒子はどれも一緒の角運動量を持っていることなど、不思議な部分もあります。そもそもなんでこんなものがあるのかという説明は、量子力学と相対性理論に深入りしないと出来ないので、割愛させてもらいます。


スピンは、ディラック定数、ℏ(エイチバー)、という量の整数倍または(整数+1/2)倍で表すことが出来ます。例えば、電子のスピンはℏ/2。光の素粒子、光子のスピンはℏ(以降、ℏは省略して、ℏ/2は1/2、ℏは1と書きます*1)。電子のように半整数(整数+1/2)のスピンを持った粒子はフェルミ粒子、光子やヒッグス粒子(スピン0)のように、整数のスピンを持った粒子はボース粒子といって振る舞いに大きな違いがあります*2


陽子や原子核のように素粒子がまとまって出来た複合粒子の場合、フェルミ粒子が奇数個入っている時には全体のスピンは半整数(整数+1/2)、つまりこの複合粒子もフェルミ粒子になります。逆に、偶数個のフェルミ粒子が入っている場合には全体のスピンは整数になり、これはボース粒子です*3。クォークはスピン1/2を持つフェルミ粒子で、陽子や中性子はクォーク3つからできています*4。3は奇数なので、陽子と中性子もフェルミ粒子になります(どちらもスピンは1/2)。整数のスピンをもつ複合粒子の例としては、陽子と中性子が1つずつくっついた重水素の原子核などがあります。



さて、ニュートリノの場合はどうなのかというと、ニュートリノは電子と同じように1/2のスピンを持ったフェルミ粒子です。実はパウリがβ崩壊のデータからニュートリノを予想したのは、その1で説明した理由に加えて、角運動量の保存も破れているように見えたからでした。ニュートリノが無かったとすると、β崩壊は中性子が陽子と電子になる反応です。最初の状態は中性子があるだけなので、角運動量は中性子のスピンの1/2だけ。崩壊後の状態には陽子と電子が1つずつ。どちらもフェルミ粒子なので、足し合わせるとどうやっても整数倍の角運動量になってしまいます。フェルミ粒子がもう1つ出てきてくれないと、角運動量が前と後で同じ、という風に出来なかったんですね。ニュートリノのスピンが1/2、というのはその後の実験からも正しいとされています。

利き手?

このブログを読んでいるような方だと、「パリティ対称性の破れ」とか、「左利き」または「左巻き」のニュートリノとか言う言葉を見たことがあるかも知れません。どちらも、ニュートリノのスピンに関わる話です。


まず、粒子の右利き、左利きの意味から。これは、粒子の動く方向と、スピン、つまり自転の方向の関係を表す用語です。親指を立てた方向を進行方向だとして、他の指を丸める向きに自転している粒子を考えると、右手と左手で回転方向が逆向きになるのが分かります。



スピンの方向がどちらの手で表せるのかが、粒子を左利き・右利きで区別する意味です。鏡に映すと、右利きの粒子は左利きに、左利きの粒子は右利きになる事も分かります。


さてここで問題。実際の世界と、それを鏡に映した世界は区別できるでしょうか?できるなら、どうやって区別すればいいでしょうか?


右と左をどう区別すればいいか説明しようとした事があれば、難しさが分かると思います。最終的には、実際に例を目の前で見せるしかなかったのではないでしょうか。物理学者の間でも、1957年まで、物理現象を使って左右を区別する方法はないと考えられていました*5。この、空間全体を鏡に反射したようにひっくり返しても、物理の法則は変わらない、という性質をパリティ対称性と呼びます。


パリティ対称性が現実の世界では成立しない可能性を指摘したのが李政道(T. D. Lee)と楊振寧(C. N. Yang)。初めてその破れを示したのが、呉健雄(C. S. Wu)のβ崩壊の実験でした。3人とも中国系アメリカ人(呉は女性)*6。この実験で使われたのは、コバルト-60というβ崩壊する原子核。この原子核のスピンは5で、磁場をかけることでスピンを磁場の方向に揃える事ができます。さて、β崩壊では電子と反ニュートリノが出てきます。その1で説明したエネルギーと運動量の保存則から、電子と反ニュートリノはほぼ反対の方向に出てくることが多くなるのですが、電子の出やすい方向、反ニュートリノの出やすい方向というのはあるでしょうか?



もしパリティ対称性が成立するとすれば、鏡に映した↑の2つの出来事は、同じ確率で起こるはずです。でなければ、右と左が区別できてしまいますから。電子(e-)の進む方向と、コバルトのスピンの関係を、どちらの手で表せるか、右と左の図で考えてみてください。左の図では左手、右の図では右手になるのではないでしょうか*7。つまり、元のコバルトのスピンに対して、右手になる方向と、左手になる方向では、同じ数の電子が出てくる、というのがパリティ対称性が正しかった場合の予測になります。


実際には、図の左側の方が多く観測されました。パリティ対称性が破れていた、という事なんですが、これはどういう事でしょう?


コバルト-60のスピン角運動量は5、β崩壊後のニッケル-60のスピンは4です。角運動量を保存するには…



反ニュートリノのスピンと電子のスピンも、元のコバルトのスピンと同じ方向を向いていないといけません。進行方向と比べると、β崩壊で出てくる反ニュートリノは右利き、電子は左利きという事になります。反ニュートリノが右利きの粒子、というのを覆す実験というのはいまだにありません。


反ニュートリノではなく、ニュートリノの巻き方も調べられています。その2で解説したように、電子捕獲では反ニュートリノではなくニュートリノが出てきます。電子捕獲の起こる原子核を使って、ニュートリノは左利きだという事を示したのがゴールドハーバー、グロッジン、サンヤーの実験でした*8。これは、実験屋さん達の間ではニュートリノ実験の歴史で一番美しい、と言われているらしいので解説したいのですが、長くなったので書くとすれば番外編で…


パリティ対称性の破れの発見は、当時の物理学者たちにとっては相当のショックだったようです。実験装置を横に動かしても、違う方向に向けても、結果は変わらないのだから、鏡に映しても変わらないだろう、というのは常識的な予測でしょう。現在知られている限り、パリティ対称性が破れているのは、ニュートリノが関わっている「弱い相互作用」だけです。重力も、原子をまとめている電磁気力も、原子核をまとめている強い相互作用も、右と左の区別をしません。人間がみんな左右の区別を忘れてしまったら、β崩壊する原子核を磁場に置いたりしないと分からないんですね*9


次回は、ニュートリノの種類についてです。

*1:これは、ℏを単位として角運動量を測る、という事で、全く問題ありません。

*2:ここで詳しくは説明しません。気になった方は調べてみてください。

*3:スピンを2倍すると、フェルミ粒子の場合奇数、ボース粒子の場合偶数になりますね。そこから考えて、奇数と奇数を足し合わせると偶数になる、のような発想でOKです。ただ、スピンは角運動量だからベクトル量です。角度をずらして足したら、1/2と1/2を足して1/2に出来るんじゃないの?というツッコミが可能です。この謎は、量子力学での角運動量の扱いを根本から説明しないと解決出来ません。

*4:これも厳密には微妙な表現…

*5:左右を反転しても、現象の起こる確率は変わらない、ということです。

*6:T. D. Lee and C. N. Yang, Phys. Rev. 104, 254 (1956); C. S. Wu et al., Phys. Rev. 105, 1413 (1957). ほぼ同時に(同じジャーナルに続いて掲載)、ミューオンの実験でもパリティの破れが発見されました。 R. L. Garwin, L. M. Lederman, and M. Weinrich, Phys. Rev. 105, 1415 (1957).

*7:上下逆にして描けば良かった…(笑)

*8:M. Goldhaber, L. Grodzins, and A. W. Sunyar, Phys. Rev. 109, 1015 (1958).

*9:冗談ですよ〜