ニュートリノって何?(その2〜ニュートリノ発見)

前回は、β線のスペクトルが連続的な事から、なぜニュートリノがあると考えられたのか、でした。今回は、ニュートリノを発見しちゃいます*1

奇跡の年

パウリがニュートリノ説を発表したのが1930年。その2年後、1932年はannus mirabilis(ラテン語で「奇跡の年」*2)と呼ばれるほど、実験物理の大発見が続いた年でした。その中でも今回の話に関係してくるのが、チャドウィックによる中性子の発見と、アンダーソンによる陽電子の発見です。


陽子とほぼ同じ質量を持った中性子が発見されるまでは、原子核の質量のもとは大きな謎でした。同位体、つまり元素番号(電荷)は同じなのに、質量が違う原子核がなぜあるのかが分からなかったのです。中性子が発見された事で、同位体というのは、陽子の数は同じだけれど、中性子の数が違う核だというのが判明しました。これでβ崩壊も、原子核の中の中性子1つが、電子を放出して陽子に変わるプロセスだという理解が可能になります。


つまり中性子は、既に観測されていた色々な現象を説明出来る粒子だったのですが、陽電子は純粋に理論から予測された粒子でした。量子力学で粒子の運動を表すのにはシュレディンガー方程式が使われますが、特殊相対性理論の影響を組み込むとどうなるのか、と考えた結果がディラック方程式です。発見者のポール・ディラックがこの方程式で電子の運動を表そうとしてみたところ、望みどおりの電子の他に、エネルギーがマイナスになってしまう解が見つかってしまったのです。これの解釈には紆余曲折があったのですが、最終的には、質量は電子と同じでプラスだけれど、電子が-eの電荷を持っているのに対して+eの電荷を持った粒子があるのだろう、という予測が立てられました*3


宇宙線(宇宙から来る放射線)の観測でこういった粒子が実際に見つかり、陽電子と名付けられました。初めて発見された反粒子です*4

フェルミのβ崩壊理論

このディラックの理論*5は、場の量子論という種類の理論の先駆けで、電子が光子(光の粒子)を放出したり吸収したりする事で力を伝達する現象や、電子と陽電子がぶつかって光を発して消滅する対消滅など、粒子の数が増減するのを表すのに適していました。そこでニュートリノの名付け親フェルミは、β崩壊も突如として粒子が現れる現象だという事で、同じ枠組みでβ崩壊を扱う事を思い付いたのです*6。ニュートリノ説が受け入れられるようになったのは、1934年に発表されたフェルミ理論の予測が次々と当たったためでした。



上に描いたのは、現象の発生確率を計算するために使われる図で、ファインマン図と呼ばれるものです*7。時間は下から上に進むように描かれているので、中性子(n)がある特定の場所で陽子(p)、電子(e)、反ニュートリノ(ν、上線は反粒子の意味)に変わるという現象を表しています。つまり、これがフェルミ理論でのβ崩壊。(1つ注意点は、反ニュートリノの線だけ、時間を遡ってることです。ファインマン図では、時間と逆方向に向いている矢印は、反粒子の意味を持っています。)


なんだそれだけか、と思われるかも知れませんが…それだけです(笑)フェルミ理論の内容は、見つかってない粒子はニュートリノ1つだけという事、そして崩壊は2段階、3段階と起こるのではなく、1回のステップで起こる事、と言っていいでしょう。


ただし、この理論が場の量子論として組み立てられていた事から、新しい現象がいくつも予測出来ます*8。ファインマン図を使う理由の1つは、図を変形するだけで新しい現象が出てくるからなんですね。例えば…



反ニュートリノの線を下から入ってくるように変えると、矢印は時間と同じ方向になるので、ニュートリノの線になります。新しい図は、ニュートリノが中性子に当たって、陽子と電子になるプロセスです。

電子捕獲

上の図の反応が起こるという事は、単に時間を巻き戻したものも可能です。



これが電子捕獲。原子核の周りを回ってる電子を、陽子が食べちゃうんですね。その陽子が中性子に変わると同時に、ニュートリノが出てきます。この現象は1937年に実際に観測されました*9


前回を思い出してもらえると、この現象には大事なヒントが隠れていることが分かります。フェルミ理論によると、β崩壊では3つの粒子が出てきます。前回説明したように、3つ以上の物が出てくる反応ではそれぞれのエネルギーが色んな値をとれるので、実は見えない粒子が何個も出てきている可能性が除外できません。1回のβ崩壊で見えない粒子が1つしか出てきてない、という証拠は薄いんですね*10


一方、電子捕獲で出てくると予想される粒子は2つ(原子核とニュートリノ)です。つまり、原子核が電子を捕獲した後に持っているエネルギーは、毎回ほぼ一緒になるはず。



↑はロードバックとアレンの実験の図*11。小さい容器の中で電子捕獲した後の原子核が、検出器まで移動する時間を測った結果です。斜線のピークの左側の色々は、原子核よりも早く届いてしまった別のもの*12だと説明されています。逆に山の右側、つまり原子核が予想より遅く届くことがほとんど無かったのは、ニュートリノが1個しか出ていないらしい事を示しています。

ニュートリノ発見

電子捕獲と、それによる原子核の反動の観測はニュートリノ説、そしてフェルミ理論の重要な証拠になりましたが、やはり一番の証拠は、β崩壊で出てきているとされる反ニュートリノそのものを検出することです*13。そこでファインマン図をまた変形します。



ニュートリノの線を引き下ろして、電子の線を上にあげました。そうすると矢印が時間と逆向きになるので、それぞれ反ニュートリノと陽電子の線になります*14


これは反ニュートリノを陽子にぶつけると、中性子と陽電子が出てくる、という反応で、「逆ベータ崩壊」と呼ばれます*15


逆ベータ崩壊を見つけるには、大量に反ニュートリノが出ている環境、つまりβ崩壊が起こっている環境が必要。地球上では原子炉の近く、という事になります。放射能が漏れているという事ではなくて、原子炉の中で起こるβ崩壊から反ニュートリノが出ていて、これはそのまま外に出てきているという事です。ニュートリノは、するりと出てきてしまうようなものだから発見できてなかった、という事ですね。1956年、フレッド・ライネスとクライド・カワンが反ニュートリノを発見したのは、アメリカ、サウスカロライナ州サバンナ・リバーの原子炉を使った実験でした*16



↑が、ライネスとカワンの実験装置*17。論文には、"club-sandwich arrangement"(3段重ねのサンドイッチ状)、と書いてあります(笑)サンドイッチの具に当たる部分(A、B)が反ニュートリノを当てるターゲット、パンに当たる部分(I、II、III)が検知器です。


ターゲットは、水。水には水素があるので、陽子のターゲットとして使えるという事です*18。さて、陽子に反ニュートリノが当たって逆ベータ崩壊が起こると、陽電子と中性子が出てきます。これをどうやって検知すればいいのでしょうか。陽電子の方は簡単です。周りに沢山ある電子のどれかに当たると対消滅して、γ線(光子)を出してくれます。


中性子を検知するのには少し工夫がいります。中性子が1932年まで見つからなかったのも、ニュートリノが見つかってなかったのも、電気的に「中性」なのがネックなんです。中性というのは、直接光と反応してくれないという事で、1段階で検知することが出来ないんですね。ライネスとカワンは、水にカドミウムを混ぜる事でこれを解決しました。カドミウムは原子炉の制御棒にも使われる元素で、中性子をよく吸収します。そして、中性子を吸収した直後にγ線を出すので、これが検出できるというわけです。



(陽電子(赤)は、電子とぶつかってγ線(青)を出してくれる。カドミウムを混ぜると、中性子(オレンジ)もγ線を出してくれる。)


ライネスとカワンは、陽電子の対消滅で出てくるエネルギーのγ線の直後に、カドミウムの中性子吸収で出てくるエネルギーのγ線、というパターンを見つけました。さらに、原子炉を止めるとこの信号が減る事*19などを丁寧に確認して、反ニュートリノの発見を発表しました。


次回、ニュートリノはどこにあるのか、に続きます。(予定変更しました)

*1:前回もですが、脚注はプロ向けのものあり。ニュートリノの歴史でもう少し詳しく調べたい場合、Klaus Winterの"Neutrino Physics"がスタート地点として良さそうです。(5/6 1:50追加)

*2:物理でこのフレーズが出てくる場合、アインシュタインの1905年の事を指す事の方が多いです。ノーベル賞受賞の理由とされた光電効果の他に、特殊相対性理論とブラウン運動の論文もこの年に書かれました。

*3:P. A. M. Dirac, Proceedings of the Royal Society A 133, 60 (1931).

*4:5/5 23:43追加

*5:この時点では未完成ですが、量子電磁力学。

*6:E. Fermi, Nuovo Cimento 11, 1 (1934). Zeitschrift fur Physik A 88, 161 (1934).

*7:フェルミ理論の発表された時にはファインマンはまだ高校生なので時代錯誤ですが、使った方が明らかに分かりやすいので使います。

*8:前回出したスペクトルの形も予測されました。これは番外編として書くと思います。

*9:観測はルイ・アルヴァレ(L. Alvarez, Physical Review 52, 134 (1937).)、定量的に予測したのは、湯川秀樹と坂田昌一でした(H. Yukawa and S. Sakata, Proceedings of the Physico-Mathematical Society of Japan 17, 467 (1935).)。

*10:電子のスペクトルから推測出来ますが、実験の精度が低いと難しいです。

*11:G. W. Rodeback and J. S. Allen, Physical Review 86, 446 (1952).

*12:崩壊直後に出てきた電子など

*13:2つ目のファインマン図は、ニュートリノが検出できる現象でしたが、反ニュートリノではなく、ニュートリノの発生源が見つからないと出来ません。これは次の次辺りで話します。

*14:5/5 23:34追加

*15:この呼称は、β崩壊がA→Bなら、逆ベータ崩壊はB→A、というわけではないので誤解の元かと思いますが。

*16:C. L. Cowan et al., Science 124, 103 (1956).核兵器開発のための原子炉でした。

*17:絵は "The Reines-Cowan Experiments: Detecting the Poltergeist"(PDF)より。

*18:軽水素の原子核は陽子1つのみ

*19:無くなりはしません。原子炉を止めてもβ崩壊は起こり続けているというのが崩壊熱の問題ですね。

ニュートリノって何?(その1〜ニュートリノ説誕生)

昨年末に、ニュートリノが光よりも速く移動したかも、という発表があったのは知っている人も多いかと思います。この話は実験ミスらしい、という事でほぼ決着しているのですが、ニュートリノってそもそも何?という話はあまり無かったように思うので、何度かに分けてその辺の解説をしてみます。物理をちょっとかじった事がある、くらいの人向けを狙ってみます(外れてるかも知れません)。


本題に入る前に、超光速ニュートリノの結果が否定された話にリンクしておきます。日本語で見つかったソースは、Wiredの「ニュートリノの光速超えにさらなる反証|WIRED.jp」と、科学コミュニケーター林田さんのブログ「misatopology.com」です。


実験ミスの原因は、ケーブルがしっかり繋がってなかった、なんですが、どういうこっちゃ、と思った人は「OPERA: What Went Wrong | Of Particular Significance」の3つ目の写真をどうぞ。英語が読める方なら、どういうミスがあったのか詳しく解説されているのでその意味でもこのブログ記事はオススメです。


というわけで、シリーズ1回目。ニュートリノの存在がどのようにして予測されたのか。

β崩壊

福島第一原発の事故でおなじみになってしまった放射線の種類の1つに、β線があります。β線は、原子核から放出された電子。β線の出てくる核崩壊が、β崩壊です。


ニュートリノが絡んでくるからこの話をするのですが、まず、まだニュートリノが発見されていない1930年にいると想像してみてください。β崩壊について当時分かっていた事を2つ挙げると、

  • β線は電子。*1
  • 原子核の質量は一番軽い水素の原子核でも電子の質量の約2000倍。

他にも分かっていた事は色々ありますが、まずこれだけとして考えます*2


なんと、上の2つだけから、ある核種から出てくるβ線のスペクトル(エネルギー分布)が予想できます。これを説明しますね。例として下に、炭素14のβ崩壊を描いてみました。



元々の炭素14の核は静止状態にあります。ある時突然崩壊が起こって、電子が速度veで放出されて*3、原子核は窒素14に変わります*4。飛び出した電子と真反対の方向に原子核が動き始めないといけないのは、直感的にも分かると思います。原子核の方が電子よりもずっと重いので、原子核の方がゆっくり動いてる(vNの方がveより小さい)、というのも多分。大砲を発射すると反動は大きいけれど、ピストルだとそこまででもない、という例えでどうでしょう*5


なぜこうなるかというと、運動量が保存されているから(分かっている人には少々くどい説明をします)*6。崩壊する前は、静止状態の原子核があるだけなので全体の運動量は0です。運動量が保存されるという事は、崩壊の後も、運動量の合計は0にならないといけないという事。窒素の運動量pNと、電子の運動量peという2つのベクトルを足して0にしないといけないわけです。



ベクトル2つを足して0にするには、上の図の真ん中の例のように、2つのベクトルの大きさが等しく、正反対を向いていないといけません。つまり窒素の原子核と電子の運動量は、大きさは一緒、向きは正反対。そして原子核の方が質量が大きいので、より小さい速度で同じ運動量に達します。だから原子核の方が、電子よりも遅く動いている、という事です。


さて、電子と原子核の運動量の大きさはどうやって分かるんでしょうか?これにはエネルギー保存則を考えます。質量はエネルギーの一種(E=mc2)なのを思い出して、崩壊前後のエネルギーを書き出すとこうなります。



崩壊前のエネルギーは、炭素14の質量エネルギー(mic2)のみ。崩壊後のエネルギーは、窒素14の質量エネルギー(mfc2)と電子の質量エネルギー(mec2)、そしてそれぞれの運動エネルギー(KfとKe)。エネルギーの保存則から、前のエネルギーと後のエネルギーは同じでなくてはならず、それを表したのが下から2番目の式。これを変形すると、原子核と電子の運動エネルギーの合計(Kf+Ke)が、質量欠損、つまり崩壊前後の原子核の質量の差(mi-mf)と、電子の質量によって表されました。


この右辺は、質量を測りさえすれば分かる一定の数字なので*7、炭素14のβ崩壊なら毎回一緒です。という事は、出てくる運動エネルギーも毎回一緒で、それによって運動量の大きさも毎回一定に決まるという事になります*8

スペクトルの矛盾

というわけで、炭素14から出てくるβ線のスペクトルの予想は、こうなります。



毎回一定のエネルギーで出てくるという予想。測定誤差や、元の炭素14がじっとしているわけではない事を考慮に入れても、鋭いピークが現れるはずです。ところが、実際に計測されたスペクトルは下のような曲線でした。



予想に反して、滑らかな分布だったんですね。スペクトルを予想するのに必要だった前提は、

  1. β崩壊で出てくるのは、原子核と電子だけ
  2. エネルギーは保存される
  3. 運動量は保存される

の3つ。予想が間違っていたという事は、このうち最低でもどれか1つは間違っている事になります。この問題に気付いたニールス・ボーアは、エネルギー保存則は統計的にしか成立しないのではないか、という可能性まで考慮していました*9


そこで、今まで検出されていない新しい粒子があるのではないか、と提唱したのがヴォルフガング・パウリでした*10。エネルギーが保存されていないように見えるのは、その新しい粒子がエネルギーを持っていなくなってしまっているからだと言うのです。出てくる粒子が3つあれば、エネルギーと運動量を保存しても、電子のエネルギーは1つには定まりません。↓に、3つの運動量を足して0にする例を描いてみました。電子の運動量peが色々な値を取れるのが分かります。



パウリがこのアイディアを公表したのは、核物理の学会が行われていたチュービンゲンへの公開書簡です。1930年12月4日付。その書き出しは、"Liebe Radioactiven Damen und Herren"(「親愛なる放射性紳士淑女の皆様へ」)というものでした。全文は「Pauli letter collection - CERN Document Server」(下のFulltext:PDFをクリック。)で読めます。

ニュートリノ命名

この時、パウリが新しい粒子に付けた名前は"Neutron"でした。中性(neutral)の粒子という意味ですが、1932年に中性子が発見された際、neutronの名前は取られてしまいました。


そこで新しい名前を考えたのが、エンリコ・フェルミ*11。イタリア語では、中性子の名前はneutroneになります。たまたまなのですが、イタリア語で"-one"の語尾は、大きいものを表すのに使われるもの。反対に、小さいものを表す語尾は"-ino"です。フェルミは、発見されていない粒子は中性子よりも軽いはず、という事で、これを小さい中性の粒子(neutrino)と名付けました。


以上、ニュートリノ説の誕生でした。

続く

*1:これを発見したのはアンリ・ベクレル。H. Becquerel, Comptes Rendus de l'Academie des Sciences 130, 809 (1900). (フランス語)

*2:ホイッグ史観的なやり方なのは承知の上で、物理を分かりやすく説明する事を優先します。とか言って分かりにくかったらかっこわるい…

*3:本文中、ベクトルには矢印を付けていませんが、混乱する箇所はないと思います。面倒なだけなので、分かりにくかったらすいません。

*4:炭素の元素番号は6、窒素の元素番号は7なので、原子核の電荷は+e増えてます。電子の電荷は-eなので、合わせると前後で増えたり減ったりはしていません(電荷の保存)。

*5:力学の話は暴力的になっていけませんね…

*6:運動量は、p=mv/√(1-v2/c2)。速度が光速よりずっと小さい場合には、p=mvで近似できます。β崩壊の場合、この近似は原子核については当てはまりますが、電子については当てはまらない場合が多くなります。

*7:真空での光速cももちろん定数

*8:運動エネルギーと運動量の大きさが一対一で対応しているということが示せれば十分。運動量pで動いている質量mの物体のエネルギー(質量エネルギー+運動エネルギー)は、E=√(m2c4+p2c2)。

*9:W. Pauli, in Neutrino Physics: Second Edition, edited by K. Winter (Cambridge University Press, Cambridge, 2000), p. 5-6.(5/1 15:16追加)なぜボーアがそう考えたかというと、β崩壊するビスマス210の崩壊熱を測ったところ、崩壊1回ごとに出てくるエネルギーは、滑らかなβスペクトルのピーク付近のエネルギーだと分かったからでした(C. D. Ellis and W. A. Wooster, Proceedings of the Royal Society A 117, 109 (1927) )。β崩壊では、毎回出てくるエネルギーは違うけれど、平均はエネルギーを保存するように定まっているのでは、と考えたわけです。ビスマス210はラジウム系列の同位体で、当時はラジウムEと呼ばれていました。

*10:実は、この説には角運動量の保存を救う意図もありました。炭素14のスピン角運動量は0、電子のスピンは1/2、窒素14のスピンは1です。崩壊後の2つの粒子のスピン1/2と1をどう組み合わせても、元のスピン0にすることは出来ません。スピン1/2の粒子がもう1つ出て来きているとすれば、この問題も解決されます。(これはちょっと進んだ話なので本文から割愛。次の記事で解説するかも知れません。)

*11:E. Fermi, Collected Papers: (Note e Memorie), (University of Chicago, Chicago, 1962), Vol. 1, p. 538-540.

Chess Examやってみた

最近というほど最近でも無いですが、大して詳しくもないのにコンピュータ将棋についてTwitterで語っていたところ、チェス関係の人に何人かフォローされました。それをキッカケに日本のチェス関係のブログをいくつか見ていたところこんな本を見つけました。*1


Chess Exam And Training Guide: Rate Yourself And Learn How To Improve (Chess Exams)

Chess Exam And Training Guide: Rate Yourself And Learn How To Improve (Chess Exams)


チェスの強さを、12項目に分けて評価して、自分の得意な部分と弱点を把握するための自己診断本です。このKhmelnitskyさん、実はその昔ネットで僕も2回くらいレッスンを受けた覚えが…とにかく気になったので、買ってやってみました。結果↓

Overall 1861
Attack 1966
Counterattack 1289
Defense 1917
Opening 2101
Middlegame 1811
Endgame 1904
Tactics 1883
Strategy 1943
Calculation 1534
Standard Positions 1636
Recognizing Threats 1687
Sacrifice 1905


大体レーティング1800-1900くらい(トーナメントに出る人の平均よりちょっと上)のようで、そんなもんだろうと思うんですが、派手に外れてるのがいくつか。Openingが強くて、Counterattack、Calculation、Standard Positions、Recognizing Threats辺り悲惨。


この結果、囲碁でも思い当たる節があるんです…囲碁で対応するのは、Openingは布石*2、Calculationは詰め碁やヨセの読み、Standard Positionsは基本死活でしょうか。自分の碁は、布石で貯金を稼いだのを、死活やヨセで失敗しながら最後まで残せるか、という碁なんですねー(汗)


読みを鍛えるにはチェスパズル、詰め碁などの訓練をするのが多分一番で、チェスの終盤のStandard Positionや碁の基本死活は、暗記しちゃうしか無い。面倒がらずにやるしかないんです。CounterattackとRecognizing Threatsに弱いのも、盤面の一般論で分からない部分を根気よく見極められてない、ということですね。


さらに、あまり具体的な話はしませんが、こういう傾向は自分の研究にも通じるところがあるな、と思って反省している所。色んな問題に興味を持って考えてみるのは好きですし、「考えてみる」だけなら出来ていると思うんですが、最後まで詰めて論文にする技術が身に付いてないんです。これも、練習しか無いんでしょうね。学生やポスドクを持ってる教授なら、詰めの部分を人に任せてもやってられるでしょうが、院生、ポスドクでこれはまずいです。


と、一つ仕事が仕上がりそうなので書きました。その目処が付く前にこんなブログ書いてたら、「そういうとこがダメなんだよ」、となりますからね…

*1:見たのは「Chess Exam and Training Guide | Behind the Scene」と「Chess Exam And Training Guide 結果 | E & Aのチェスブログ

*2:この本のOpeningの問題は定跡を覚えてるかどうかではなく、序盤の指し方の一般的な考えからしてどうするべきか、という感じ。

書評:「猫のゆりかご」カート・ヴォネガット

学部の頃、私立の高い学費のほとんどを奨学金でカバーしてもらっていたのですが、この奨学金にはドナーの名前が付いていました*1。そして毎年1回、奨学金の寄付をしてくれているドナーと、貰っている学生をみんな集めてのディナーがありました。ドナーとしては、どういう学生にお金を出しているのか知るのは満足感があるものかと思いますし、大学としても、学生にサポートして貰っている実感を持ってもらうと後々寄付を貰えるのでは、という目論見があるのでしょう…という話は置いといて、確か2年生の時のディナーで、僕の奨学金のドナーだったおばあさんにこういう質問をされました。


「自然の色んな事を解明できる物理学が専攻とは、素晴らしい。ただ、物理学の進歩のために核兵器が作られるような事もあった。そういう研究はされるべきだったのか?どうすれば科学が人間のためになる使い方をされるように出来るのか?」


この時の自分がどう答えたのかはよく覚えていません。戦争で核兵器を落とされた日本で生まれた事など絡めて何か言ったのでしょうが、覚えていないくらいなので大した答えは考えていなかったのではないかと思います。簡単な答えがある問題ではないと思いますが、何かあるごとに思い出します。今月の初めに、飛行機でカート・ヴォネガットの「猫のゆりかご」を再読した時にも思い出しました。


猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)

猫のゆりかご (ハヤカワ文庫 SF 353)


Cat's Cradle (Penguin Modern Classics)

Cat's Cradle (Penguin Modern Classics)


と言ってしまうと重苦しい話のようでまずいですね。深刻なテーマを扱いながら、ユーモアの絶える事がないSF小説です。


この本の影の主人公は、第二次大戦中、原爆の開発に携わった(架空の)科学者フェリックス・ハニカー。すでに亡くなっているハニカーの足跡を辿っているうちに、ナレーターは彼の3人の子供の人生に巻き込まれていきます。カリブ海の独裁国家サン・ロレンゾ、教義はウソだと明言しているおふざけ宗教ボコノン教、ハニカーが残した危険物質アイス・ナインという小道具を使って、ヴォネガットは世の中のいろんなものを痛烈に風刺します。


まずは物語として楽しんで欲しいですが、以下、この小説の寓話的な要素を自分が勝手に解釈したものを書いてみます。少しだけネタバレ有り。


核戦争の危機が迫っていた1960年代に書かれた事もあって、科学技術とどう付き合うか、というのが一番のテーマです。まず目立つのは、真実を見つける事だけに没頭し、他人がそれをどう使うかには関心を持たなかったハニカーと、"New knowledge is the most valuable commodity on earth."と語る彼の上司。これは科学原理主義と言ってもいい態度で、当然ヴォネガットはこれを科学技術の暴走の一因として糾弾しているように見えます。


ただ、ヴォネガットは科学者以外の人のもつ、科学についての誤解も鋭く指摘しています。ナレーターが訪れたバーでの会話:
"He said science was going to discover the basic secret of life someday," the bartender put in. He scratched his head and frowned. "Didn't I read in the paper the other day where they'd finally found out what it was?"
...
"What is the secret of life?" I asked.
...
"Protein," the bartender declared. "They found out something about protein."


バーテンダーは最近の新聞で、科学者が命の秘密を見つけた、と言う記事を読み、そしてその秘密とは、タンパク質の事らしい、というのをなんとなく覚えていたわけです。ここには、科学者が言っているからそうなんだろうという漠然とした信頼、実際にどういう話だったのかは覚えていない無関心、そして科学が"the basic secret of life"などというものを発見できるという主張に疑いを挟まない無理解があります。


一言でまとめてしまうと、どちらにも「科学リテラシー」が欠けているのです。科学に何が出来て、何が出来ないのかが分かっていない。科学を「制御」しようにも、科学に何が出来るのか分かっていなければ無理でしょ、と言うヴォネガットの焦りを僕はこの本から読み取りました。


そのどうしょうもない現世的なものと比べて新鮮なのが、人間に分かる事なんてほとんど無いんだから、開き直って嘘を愛してしまおう、というボコノン教。こんな宗教を思いつきで創り上げられるヴォネガットの才能には驚きます。これは読んで味わってもらうしか無いですが、人間が陥りがちな罠への警告として、とても面白いものです。


その罠の最大のものは、本の最初の方に出て来ます。
"the folly of pretending to discover, to understand"
物事を発見したつもり、理解したというつもりになる愚かさです。

*1:ツイッター見てる方ならご存知と思いますが、アメリカの大学です

教科書の不確定性(最後におまけ)

先日あった、ハイゼンベルクの不確定性原理*1が破れた、というニュースについて、主に物理学者/物理学徒向けの記事を書きます*2。(アメリカの)大学、大学院で良く使われる教科書での不確定性結果の記述、説明を調べた結果なのですが、最後のおまけは物理の人でなくても大丈夫かもしれません。


発見の詳しい説明は[twitter:@hidarikawa_p]さんの「http://www.ssl.berkeley.edu/~ishikawa/uncertain.html(中身は日本語)」に大体お任せしますが、ここでも手短に説明します。


物理学者が普通の量子力学の授業で習う不確定性原理は、ケナード・ロバートソン不等式、またはロバートソン不等式と呼ばれるもので、系の状態にどれだけの精度を持って物理量を対応させる事が出来るかを表す関係です。これは、問題となる物理量を測定するかどうかとは関係なく、常に成立するものです。


一方、ハイゼンベルクの不確定性原理と呼ばれているのは、物理量を測定する事によって系の状態が乱され、これによって他の物理量の値に予測できないズレが生じてしまう、というものです。今回話題になっている小澤不等式というのは、この2つの不確定性の元を統一的に扱って、測定に現れる不確定性をより厳密に表した式なわけです(1/19 10:35修正)。


今回示されたのは、ハイゼンベルクが元々考えた測定のために起こる不確定性原理の式が間違っていた、という事で、ロバートソン不等式には傷はついていません(これが破れると大問題になります)。ただ、ハイゼンベルクがこの2つを混同してしまったのにつられたのか、多くの教科書や一般向けの解説書で、不確定性が生じるのは測定のため、という間違った説明*3がされてきました。今回のニュースで、「教科書が書き換えられる」という声、「教科書はすでに書き換えられてる」という声、両方を目にしたので、実際に確かめてみようじゃないか、と考えたわけです。


確認したのは、前から知っていた教科書と、ネット上にあったシラバスをいくつか見て、かなりの授業で使われていると思われた教科書、計17冊。アメリカの学部向け、院向けに分けて列挙すると*4


(アメリカの)学部向け:
Bohm, Quantum Theory (1951)
Eisberg & Resnick, Quantum Physics of Atoms, Molecules, Solids, Nuclei, and Particles (1974)
Feynman, The Feynman Lectures on Physics, Vol. III (1965)
Gasiorowicz, Quantum Physics (2003)
Griffiths, Introduction to Quantum Mechanics (1995)
Liboff, Introductory Quantum Mechanics (1992)
Mandl, Quantum Mechanics (1992)
Shankar, Principles of Quantum Mechanics (1994)


(アメリカの)大学院向け:
Baym, Lectures on Quantum Mechanics (1969)
Cohen-Tannoudji, Diu & Laloe, Quantum Mechanics (1977)
Dirac, The Principles of Quantum Mechanics (1958)
Gottfried & Yan, Quantum Mechanics: Fundamentals (2004)
Landau & Lifshitz, Quantum Mechanics (1958)
Merzbacher, Quantum Mechanics (1970)
Messiah, Quantum Mechanics (1958)
Sakurai, Modern Quantum Mechanics (1985)
Schiff, Quantum Mechanics (1968)


不確定性原理の説明に目を通してみて、大雑把に以下の5つに分類できました*5
1. 問題無し
2. 脚注に問題あり
3. 面白い間違いあり
4a. 測定の問題とする記述
4b. 「ハイゼンベルクの顕微鏡」による説明

順に見ていきます。著者名の横に、不確定性原理の現れる箇所も書いておきます(一部)。

1. 問題なし

Baym, 3
Cohen-Tannoudji, Diu & Laloe, I.C.2-3
Dirac, IV.24
Landau & Lifshitz, 1
Sakurai, 1.7


BaymとSakuraiは、解説に誤りはないのですが、分量もさほど無いです。ロバートソン不等式を導出して、測定を行った場合に現れる値の分布との関係を簡潔に述べて終わり。この記事の脚注にあるように、不確定性は「原理」ではないわけで、これくらいの扱いもある意味正しいのかもしれません。


他の3冊には、それなりに面白い解説があります。どれもノーベル賞受賞者が書いた本ですね。


Cohen-Tannoudji, Diu & Laloe, I.C.3
"The inequality (C-18) with which we started is not an inherently quantum mechanical principle. It merely expresses a general property of Fourier transforms, numerous applications of which can be found in classical physics. ... Quantum mechanics enters in when one associates a wave with a material particle and requires that the wavelength and the momentum satisfy de Broglie's relation."
これは位置・運動量の不確定性の説明。フーリエ変換で対の関係にあるものには不確定性が生じるもので、波動現象ならば古典力学でも起こるという事を強調した説明です。


Dirac, IV.24
"It shows clearly the limitations in the possibility of simultaneously assigning numerical values, for any particular state, to two non-commuting variables ... It also shows how classical mechanics, which assumes that numerical values can be assigned simultaneously to all observables, may be a valid approximation when h can be considered as small enough to be negligible."


Landau & Lifshitz, 1
"In quantum mechanics there is no such concept as the path of a particle. This forms the content of what is called the uncertainty principle, one of the fundamental principles of quantum mechanics."
この2つは、全ての物理量に厳密な数値が与えられる、という古典的な仮定が誤っている事を強調した説明。

2. 脚注に問題あり

Griffiths, 1.6, 3.5.1
Merzbacher, 2


この2冊では、本文には見事な解説があるのですが、測定によって不確定性が起こるという思考実験を脚注で紹介しています。2つの不確定性を混同したものなので、残念ながら満点はあげられません。

3. 面白い間違いあり

Gottfried & Yan, 1.1(b), 2.3(c)
Bohm, 5.2, 5.3, 5.6-8


これは、量子力学の解釈などにも踏み込んだ2冊。不確定性原理の間違った解説があるのですが、間違い方が興味深いです。


Gottfried & Yan, 1.1(b)
"If the two regions cannot be connected by light signals, then there is no restriction on the accuracy to which the two fields in question can be determined, because no measurement in one region can then produce an effect in the other region."
これは、EPR思考実験などを踏まえて、測定による不確定性原理が成立しないケースがあると認めているんですね。ただ、ロバートソン不等式とこれは無関係。2つの不確定性がある事を認識していないのかな、とも思うのですが、もう少し読み込まないと分かりません。


Bohm, 5.3
"Can we think of the electron as something that has, simultaneously, well-defined values of position and momentum, which are uncertain to us because we cannot measure them with complete precision; or are we to think of the lack of complete determinism as originating in the very structure of matter itself? We shall see ... that the indeterminism is inherent in the very structure of matter and that the momenum and position cannot even exist with simultaneously and perfectly defined values."
不確定性は、我々に測れないだけなのか、それとも物質の構造として不確定なのか?という重要な疑問を投げかけて、物質の構造がそうなっているのだ、という(正しい)答えを出しています。不確定性に2つの原因がある事を認識しているわけです。


それなのに、5.8でBohmは測定によって不確定性が生じる、という解説を使っています。どういう考えでそうなったのか、これも読み込まないと分からなそうです。

4a. 測定の問題とする記述

Mandl, 3.3
Schiff, I.3-4


この2冊では、不確定性原理は物理的な状態に与えられた条件ではなく、測定値に対する条件だという説明がされています。

4b. 「ハイゼンベルクの顕微鏡」による説明

Eisberg & Resnick, 3-3
Feynman, 1-6, 1-8, 2-6
Gasiorowicz, 2.2, 2.5
Liboff, 2.7, 2.9
Messiah, IV.2, IV.7, IV.12
Shankar, 4.2


これらに出てくるのは、「ハイゼンベルクの顕微鏡」と呼ばれる思考実験や、その亜種。位置を精密に測るためには、短い波長の光を当てなければならず、短い波長の光の運動量は大きいので、次に運動量を測ろうとすると大きな誤差が出てしまう、という説明です。


なぜこれが量子的な説明かというと、こういう事です。古典的な電磁気学では光はただの波なので、波の振幅を0に限りなく近づけられます。量子力学になると、光子1つをぶつけるよりも影響を小さくすることが出来ず、測定を行った場合には最低限の影響が出る、というわけです。


もちろん、これはハイゼンベルクの不確定性の説明であって、ロバートソン不等式とは無関係なんですね。

おまけ

そういえば面白い話が書いてあったような気がしたな、と思ってもう1度見てみたらやっぱり面白い話が書いてあったのがKarl Popperの"Quantum Theory and the Schism in Physics" (1956)。ちょっと引用します。


1.3
"My second thesis is that statistical questions demand, essentially, statistical answers. Thus quantum mechanics must be, essentially, a statistical theory.
...
Largely owing to the fact that the problems of the theory were not (and still often are not) seen to be statistical, other reasons were invented to explain the widely admitted statistical character of the theory."


1.5
"[Heisenberg's uncertainty relations] are, beyond all doubt, validly derivable statistical formulae of the quantum theory. But they have been habitually misinterpreted by those quantum theorists who said that these formulae can be interpreted as determining some upper limits to the precision of our measurements (or some lower limits to their imprecision).


My thesis is that these formulae set some lower limits to the statistical dispersion or 'scatter' of the results of sequences of experiments: they are statistical scatter relations. They thereby limit the precision of certain individual predictions."


不確定性原理は、量子力学における予測が確率的なのを踏まえて、その確率分布の統計的な性格を表すものだと。実験を何度も行った場合の、結果の統計的なゆらぎに対する制限であって、1回の実験に対する制約ではない。量子力学で答えられる質問が統計的なものだという事が認識されなかったために、不確定性の生じる物理的なメカニズムを物理学者は求めてしまった、と言うんですね。


これは、恐らくその通りでしょう。


素粒子や核物理の分野では、量子力学を道具としては使うけれど、解釈問題には触れない、計算結果が合えば良い、という態度が主流といって良いと思います。不確定性原理の意味も、その避けられた部分の1つで、ハイゼンベルクの説明は何となく正しそうだから良いだろう、と放って置かれたところがあります。小澤不等式も今回やっと検証できたわけで、これまでの実験に関して言えば、間違った解釈でも計算結果は合っていたわけです。


今回、僕が調べた教科書の記述も、本全体の良し悪しと言うよりは、どれだけ解釈的な問題に踏み込んでいるかの判断になっているように思います。素核の問題を解いている分には、不確定性原理の意味を知らなくても答えは違わないので*6、別にMessiahやSchiffで量子力学を学んでも問題があるわけではありません。


ただ、今回のように量子力学の基礎に迫る、精度の高い実験が行われるようになってきて、量子力学の意味を考える重要性は増しています。最近の教科書では、EPRパラドックスやBellの不等式の解説が増えていて、これは良い傾向だと思います。不確定性原理の解説は、残念ながら新しいほど良くなる傾向はあまり見られません。良いものが認識されるよう出来る事をやっていこうと思います*7(1/19 0:51修正)。

*1:伝統的には不確定性「原理」と呼ばれるものですが、量子力学の他の原理から導かれるものなので、不確定性「関係」の方が適切かと思われます。

*2:ニュース記事は「ハイゼンベルクの不確定性原理を破った! 小澤の不等式を実験実証 | 日経サイエンス」など

*3:少なくとも、不完全な説明。

*4:アメリカの、とわざわざ書くのは、日本の学部生の方が物理の専門教育ではアメリカの学部生よりかなり先に進んでいると思われるからです。

*5:昔から定量的な表現があった不確定性原理はロバートソン不等式なので、それに即した説明が出来ているかどうかを問題にしています。

*6:そもそも、不確定性原理自体を使う事など殆どありません

*7:その前にやるべき事は色々ありますが…

ホイスト

ホイストの話を書いたんですが(「Of Miracles - 物理学と切手収集」)、ホイストと聞いて自分が思い出す事が1つあります。


エドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人事件」の冒頭。当時人気だったゲームを比較して、それぞれに必要な能力を考察する下りがあります。ポーが言うには*1、チェスは、駒の動きが多様なためにゲームが複雑になるが、これは深みではない、と。見落としで負ける事が多いので、思考力よりも注意力が必要なゲームだと言うんですね。対してチェッカーズでは、駒の動きがシンプルなので、思考力が優れている方が勝つ、と。


そして、ホイストが思考力の一番のテストだ、と続きます。ちょっと引用。


"Whist has long been noted for its influence upon what is termed the calculating power; and men of the highest order of intellect have been known to take an apparently unaccountable delight in it, while eschewing chess as frivolous. Beyond doubt there is nothing of a similar nature so greatly tasking the faculty of analysis. The best chess-player in Christendom may be little more than the best player of chess; but proficiency in whist implies capacity for success in all those more important undertakings where mind struggles with mind."
(全文はGutenberg Projectで読めます→"The Works of Edgar Allan Poe, Volume 1")


チェスのチャンピオンは、チェスのチャンピオンという以上のものはあまり無いだろうが、ホイストでの強さは、他の知的活動でも成功できる能力の証だというわけです。


チェスを少々やる人間として少し弁護しておくと、ポーの生きた19世紀前半のチェスは、お互いが相手のキングを詰める最短距離を目指すような乱暴なものでした*2。19世紀後半のヴィルヘルム・シュタイニッツ辺りから持久戦の戦略が考えられ始め、今のチェスはポーの時代とはかなり違うものになっています。


それでも、色々なゲームで強くなるために必要な能力が異なるというのは確かでしょう。ちょっと気になっている話です。

追記

数学者ポール・エルデシュの話*3


バークリーに、囲碁を数十年やっているアメリカ人の友人(プログラマー、アマチュア天文家)がいます。エルデシュは趣味として囲碁をしていたらしく、エルデシュがバークリーに来ていた時に、この友人は何局か打たせてもらったとの事*4。その時にエルデシュは、プロ棋士に会った時の感想を話してくれたそうです。


又聞きで、しかも僕の翻訳を通していますが、こういう事を言っていたそうです。「科学者や芸術家、チェスプレイヤーなど、色んな分野のトップと言われる人に会った事があるが、もし自分がこの分野に一生を賭けていれば、同じくらいの事が出来たんじゃないか、と毎回思わされた。ただ、囲碁のプロ棋士を見た時には全く違った。この人達のやっている事は、自分がいくら頑張っても真似出来ないんじゃないか、という印象を受けた。」

*1:彼本人の意見だったかどうかは分かりませんが。

*2:棋譜を見る分には楽しいです。これとか→'Adolf Anderssen vs Jean Dufresne (1852) The Evergreen Partie'

*3:20世紀のかなり有名な数学者です。「ポール・エルデシュ - Wikipedia

*4:棋力は上級者だったそうです。(段位者では無かった。)

Of Miracles

ヒッグスの話と関係無いようで、ちょっとだけある話。


少し前に、Twitter経由でこんな話を見かけました。


http://rocketnews24.com/2011/12/03/159042/


どうやら最初に報じたのは、イギリスのタブロイド紙The Sun。


News, sport, celebrities and gossip | The Sun


ホイストというゲームに興じていたイギリスのおじーさんおばーさん4人が、それぞれ同じマークのカード13枚を配られた、という話です。The Sunとかロケットニュースから出てきた話なので、まず、ホントかよ?というツッコミがあるんですが、とりあえず本当に起こったことだとして考えてみましょう。

ランダムなデックから、マークが揃って配られる確率

カードを全くデタラメな順番に並べて配ってみた時に、4人ともマークが揃った手を配られる確率は、


2,235,197,406,895,366,368,301,560,000分の1


です*1


この数字がどうやって出てきたかは確率の練習問題にするとして*2、28桁もあるとんでもない数字です。こういうとんでもなく小さい確率が出てきた時には、まぐれ以外の何かがあるんじゃないか?、と疑うのが健康な反応でしょう。

ランダムなのか?

さっき書いた確率が正しいのは、全部で52!通りあるカードの並び順が、どれも同じ確率で現れる場合です*3。もし、マークが揃って配られるような並び順が、他の並び順より現れやすかったり、現れにくかったりすれば、適用できない確率なんですね。というわけで、ホイストをプレーした後、シャッフルしたデックが、ランダムなのかどうか少し考えてみます。


ホイスト(Wikipedia)は、ブリッジの前身と言われているゲームで、「トリックテイキングゲーム」に分類されます。Windowsにタダで付いてくるハーツと似ている、と書いた方が分かる人は多いかも知れません。


ブリッジやハーツと同じように、ホイストのワンゲームは13ラウンド*4に分かれています。1ラウンドに4人とも1枚ずつカードを出し、一番強いカードを出した人が4枚とも回収します*5。そして、ブリッジやハーツと同じように、ラウンドの最初に出たカードと同じマークの札を持っている場合、そのうちのどれかを出さなければなりません。


このルールから分かるのは、ホイストのゲームが終了した時点では、同じマークのカードが4枚並んでいる状態が良くあるわけです。こういった状態のカードをシャッフルするとどうなるのか、かなり単純化したケースを図にしてみました。


↓A、B、C、Dはそれぞれ違うマークだとします。それぞれ4枚ずつ揃った状態から、2等分してシャッフルする、というのを2回繰り返します。



AAAABBBBCCCCDDDD
という並びだったカードが、
ABCDABCDABCDABCD
になりました*6


これを4人のプレイヤーに配ってみると…全員、同じマークのカードだけ配られることが分かりますね。これはあまりに単純化されたケースですが、トリックテイキングゲームをした後、2,3回しかシャッフルせずに次のディールをした場合、同じマークのカードは固まる傾向にあります*7

混ざりきってなかったと結論して良い?

上に書いたような、混ざりきっていないカードの場合に、マークが揃って配られる確率がもし100兆分の1だったとします。日常的にはほぼ出会わない出来事ですが、トランプの歴史ではこういった事が1回起こってもいいかも、というレベルです*8


この確率でも、混ざりきっていた場合の確率よりは13桁も大きい数字です。この4人は絶対に10回以上シャッフルしていた、というような事が分かっていなければ、シャッフルが十分でなかった事は確実、と言えます。実際にどういう計算からこういった事が言えるのかは、もう少し(計算が)面白い例が見つかったら解説しようと思います*9

ヒッグスとの関係

トランプの話はこれで終わりでいいんですが、ヒッグスの話と関係がある、と書きました。それらしい話を下に書くので、繋がりを読み取ってみてください。今回はちょっと不親切なので、読み取れなくても心配しないで下さい。(参照:「ヒッグスは99.98%の確率で見つかったのか? - 物理学と切手収集」)


ベイズ統計学に、事前確率と事後確率という概念があります。事前確率とは、新情報が入る前に考えていた、ある出来事が起こる確率。例えば、4人のおじーさんおばーさんがホイストをしている時に、カードがランダムになっている確率はどれくらいでしょう?、と聞かれて答える数字です*10


そこに、新情報が入ります。この4人がホイストをしていたら、マークが全部揃って配られたらしいよ、と。この情報が入った時点で、カードがランダムになっている確率についての考えを改めないといけません。このカードが配られた時には、カードはほぼ確実に混ざりきってなかったんだ、と分かったわけです。この更新の事をベイズ更新といい、更新が行われた後の確率を、事後確率といいます。


事後確率を厳密に求めるためには、色々な情報が必要になります。「どれくらいの確率でこの人達はちゃんとシャッフルしてるのか?(事前確率)」、「カードがランダムな場合にはどれくらいの確率でこんな事が起きるのか?」、「混ざりきっていない場合には?」。


事前確率、つまり最初の質問への答えは、人によって違ってくるでしょう。この4人がホイストをしているのをじっくりと観測していた人でもなければ、勘で答えることになりますから。そして、この答えによって、事後確率、つまりこの奇跡的なディールが起こった時にカードが混ざり切っていた確率も、変わってしまいます。


人によって確率が違っていいのか?と思われるかも知れませんが、それでいいのだ、というのがベイズ統計学の考え方です。ありとあらゆる問題について言えることで、個人が持っている情報は不完全で、人によって違います。だから答えが違ってもおかしくない。大事なのは、新情報が入った時に考えが更新されることなんですね。

*1:ロケットニュースが間違えたのは、イギリス式のオッズの書き方を読み間違えたため。

*2:答えはこちらでどうぞ→「2,235,197,406,895,366,368,301,559,999分の1の確率で起きたトランプの奇跡? - 大人になってからの再学習

*3:"!"は階乗を表す。52! = 52×51×…×3×2×1は68桁の数字。

*4:ラウンドの事を「トリック」と言います

*5:ブリッジやホイストの場合、出来るだけ多くのトリックを取る(ラウンドで勝つ)事が、ゲームの目的。

*6:手品師は、こういうのはとっくに考えてるでしょうねぇ。

*7:シャッフルがどれくらいカードの並び順をランダムにするのか、というのはスタンフォード大学のPersi Diaconis(大学のページ)という手品師兼数学者などが研究しているそうです。彼の研究をとても大雑把にまとめてしまうと、5回以上シャッフルしないとランダムにはなり始めない、言い換えると、4回以下のシャッフルでは、始める前の状態についての情報がまだ大部分残っている、という事です。もう少し厳密な話は、彼の論文を探して読んでみて下さい。僕はまだ(汗)

*8:100兆という数字は、これまでにプレーされた52枚のトランプを使ったゲームの回数の(僕の)見積りです。少し多めのはず。さらに言うと、この記事で書いたような理由を考慮しても100兆分の1よりも桁違いに確率の小さい出来事だったとすると、実際に起こらなかった可能性が高いと思います。

*9:統計が今アツい | 道」に出てくるようなもの。ネタをパクりたくないのでこれはそのまま使いたくない。

*10:この場合、本当は確率分布。